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弁惑観心抄(日應上人)要文⑥第2章25節より

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問う、人法は元これ勝劣なり。故に『百六箇抄』に、「法は本、人は迹なり」と述べ給う。しかるに、これを体一と言う者は、本迹一致の輩なりと。この難、いかが会通するや。答う、人法において二つあり。云わく、体一と勝劣なり。体一とは絶対妙に約し、勝劣とは相対妙に約するなり。

今回から第2章の要文に入りますが、第2章は「下種人法体一」を論じている章です。最近の創価学会教学では、人法体一(人法一箇)を否定し日蓮大聖人を崇拝の対象ではないと教義変更しましたがその主張は驥尾日守と同じです。当御指南は日守が『百六箇抄』の御文を文証に人法体一を言う者は本迹一致でないか?という問いに対し、日応上人は、人法の会通は相待妙に約す勝劣と絶対妙に約す体一の二通りあるがると答えてます。「体一とは絶対妙に約し、勝劣とは相対妙に約す」とは、相対妙とは釈尊の脱益仏法のことで釈迦仏法においては、「人は法に依って成仏」するという教えなので、法勝人劣の勝劣になるので法と人には差別があり同一ではありません。しかし絶対妙の大聖人の下種仏法においては、南無妙法蓮華経の法と久遠元初自受用身の仏に前後上下の差別は全くありません。『総勘文抄』に「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開きたまひき」と説かれていて、日寛上人は当該御文を会通し、「釈迦如来」とは自受用報身如来、「五百塵点劫の当初」とは久遠元初、「我が身は地水火風空」とは御本仏の色法(境妙)、「知しめして」とは本仏の心法で(智妙)であると御教示されています。つまり南無妙法蓮華経(法)とは久遠元初自受用報身如来(人)の色心二法でその体はひとつなのです。創価学会二代会長・戸田城聖は、「たとえばこの人は医者だというときには医業が法であり、医業を営むその人が人である。医業の法と医業の人と合して医者といえるのである。すなわち人法一箇である。もし医者と称しながらその人が八百屋を営んでいたとするならば、法と人とは合しないから人法一箇とはいえない」と分かりやすく人法一箇を説明しています。ここで日守が引用した『百六箇抄』の御文の全文を引用すると、「四十一、下種の最後直授摩頂の本迹、 久遠一念元初の妙法を受け頂く事は、最極無上の灌頂なり。法は本、人は迹なり。です。潅頂とは分かりやすくいうと御受戒のことです。この御受戒の時に授ける法は本で、受ける人は迹である。というのがこの御文の内容で、本尊についての御指南ではないのです。日守はこのように全く見当はずれの御書を切文して文証にしているのです。そもそもが『百六箇抄』は大石寺相伝書ですから、法主上人が一番正しくその内容を知っているわけで門外漢の日守がその御文を引用して富士門流大石寺を批判すること自体が滑稽です。これは現代の異流儀である創価顕正会に言えます。御書を切文して自分たちの都合のいいように解釈して正宗を批判するなんて笑止千万です。また、創価相伝書は法主信仰の温床になったなどと馬鹿な事をいっていますが初代法主日蓮大聖人だと知らないのでしょか。(もっとも最近では彼らは大聖人信仰を止めたようですが)。日守や創価顕正会員のように論点と全く無関係な御書を更に切文して恰も文証を提示してが如く見せかける異流儀のイカサマ論法に法華講員は騙されないように気を付けてください。ともあれ、今回覚えておきたいポイントは、釈迦仏法は相対妙で人法勝劣・大聖人仏法は絶対妙で人法体一ということです。

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