突然だが、「私はバカが嫌いである」。こう書くと創価洗脳員達は、「日蓮正宗信徒は人を見下している」というような反応をするかと思うが、それは単なるトーンポリシングで、ちゃんと読めば少しもそんな批判を受けるような文章ではない。私はこの文で「バカ」の定義がひとつも書いていないし、自分を利口だとも言っていない。そして何よりも「バカが嫌い」と言っているだけで「バカは悪い」とは書いていない。好き嫌いは私の個人的な感情であって見下しているわけではない。例えば「私は創価学会員が嫌いです」と書いても全く見下したことにならない。逆に創価学会員から「日蓮正宗が嫌いだ」と言われても、そんな個人の感想に対して腹を立てることもない。「嫌い=悪」ではないからだ。このように創価員に限らずネットやAIの影響からだろうか、最近は「読解力」に乏しい人が増てきた。「読解力」というと文章を読む能力と思われがちだが、実際には文章を書く能力や文章に限らず相手の言葉を理解したり自分の意見を主張する能力の根本が「読解力」だ。創価洗脳員との対話が嚙み合わないのは彼等がこちらの発言を理解できないからで、彼等の「読解力」不足が大きな原因である。では何故、創価や顕正の洗脳員は一般人より劣るのだろうか。「読解力」の無い原因として多くの教育学者等が指摘しているのは、「分かったつもり」換言すれば「知ったかぶり」である。「分からない」状態であれば分かろうと努力するが「分かったつもり」というのは本人には「分かっている」状態で、「分かっていないことが分かっていない」のである。これは、「分からない」よりも悪いのである。何故なら「分かったつもり」状態になると、そこで思考停停止になるからだ。創価洗脳員が世間の人達から「思考停止」と言われ、他人との対話がまとも出来ないはそういう事である。例えば創価学会の「偽造芸者写真」裁判は正宗側の敗訴の判決が出ているが、例の芸者写真は創価学会の偽造だと断定されていてる。名誉棄損に該当しないという判決理由は日顕上人が芸者遊びをしていたという事実を認定したのではなく、日顕上人が原告に名を連ねていないことから、「(創価新報の)報道は日顕上人個人に向けられたものであり、日蓮正宗・大石寺に対する不法行為に該当するということはできない」という理由からである。ところが読解力のない創価洗脳員は、日顕上人が芸者遊びをしていたと誹謗するのである(むしろ池田大作の芸者遊びこそ裁判所に認定されている)。こうした読解力に欠けている創価洗脳員達の発信するメッセージは当然のことながら欺瞞と詭弁に満ちていてしかもすぐに論理破綻してしまう。従って、創価洗脳員とは対話が成立しない。彼等に「話せば分かる」は通用しないのである。まさしく「バカの壁」である。このように彼等が思考停止してのは創価学会の影響が多分にあると思われる。創価組織内だけの人間関係なら、お互い同レベルだから大して支障はないだろうが、広宣流布をするというなら他人とまとまな対話が成立しないレベルのその読解力では弘教も破折もできない。そもそも世間から敬遠される。創価活動を止めてせめて一人前の読解力を身につけないと社会でまともに生きていけないだろう。では最後にもう一度、「私は読解力が無く話の通じないバカは面白くないし疲れるので嫌いである」
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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