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顕正会の「広布御供養」の謀りを破す。

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12月は創価学会員は「財務の戦い」出も身も心も財布も忙しい季節だが、顕正会もまた12月は年に一度の「広布御供養」という名目の集金の季節だ。顕正会の「広布御供養」は金額の上限が6万円(以前は8万円)と決まっていて、浅井昭衛は「元旦勤行も、御大会式も、その他あらゆる集会に、一切、金銭を集めたことがない。ただ大聖人様への御報恩と、広宣流布の情熱だけで、あらゆる集会が行われているのです。このような清らかな仏弟子の集団は、日本の中で顕正会以外にはない。そして、広宣流布を進めるための必要経費は、年一回、上限を決めて、「広布御供養」として、有志がこれを拠出しているのです。」(平成30年11月度総幹部会でのご講演)などといってあたかも顕正会は金銭を搾取しない教団のに装っている。確かに創価の青天井財務や統一教会霊感商法と比べると上限6万円は良心的かと思えるが元顕正会員の証言を聞くと幽霊会員や広布御供養に参加しない会員の分の金銭を他の活動家達が代わりに支払っていたりするそうで顕正会幹部や活動家には厳しそうだ。ただ金額の多寡に関わらず、「広布御供養」という名目がすでに「詐欺供養」そのものである。仏の十号のひとつに「応供」とあるように供養を受ける資格があるのは仏様だけだから在家信徒の教団に対する金銭供与は「供養」ではないし、在家教団は「供養」を受け取る資格はない。したがって「御供養」という名目を使用するのは信徒を騙していることになる。そもそも仏様への御供養というならば上限を設けることはおかしい。浅井顕正会は勝手に6万円以上の御供養をしたい人の善根を積む機会を奪い仏様への供養を制限しいることになるのだから謗法となるはずだ。そして「広布(広宣流布)」という言葉もまた欺瞞である。何故なら顕正会広宣流布は絶対にできないからである。その理由は顕正会には本門戒壇戒壇大御本尊がないからである。富士日興門流において広宣流布の暁に建立される本門寺の本堂(戒壇)に御安置する御本尊は弘安二年御建立の本門戒壇大御本尊なのである。逆説的に言えば本門戒壇大御本尊が御安置されなければ、それがたとえ国立戒壇であっても事相の戒壇とはならず顕正会の主張する大聖人の御遺命の戒壇にならない。つまりどうあがこうとも顕正会広宣流布をすることは不可能なのである。絶対に不可能な顕正会広宣流布の活動に供養をしろとはとんだ宗教詐欺である。このように「広布御供養」は全て浅井一家の謀りで、実際は「浅井顕正会の運転資金への寄付」と乞食貴族の浅井ファミリーに「恵んでやる布施」なのである。創価学会員もそうだが顕正会員も「財務」や「供養」に功徳があると洗脳されているが単なる会費や浅井一家の生活・遊興費に功徳なんかあるわけないだろう。広宣流布とは大聖人信徒の務めであり、信徒にとって当たり前のことを「尊い行為だから供養しろ」とはなんという言い草か。「御供養」とは御本仏(戒壇大御本尊)に対して心を込めて尊敬・感謝の念を示す行為であって在家同志が供養をしたり受けたりするものではないし功徳の見返りを求めるものでもない。いずれにせよ顕正会の会員が支払った金銭はただの1円たりとも戒壇大御本尊に届いていないことは紛れもない事実であり、顕正会の「広布御供養」は謀り昭衛が大聖人の名を騙った宗教詐欺なのである。

創価・顕正からの退会・正宗への移籍・創価破折方法のX(Twitter)のDM・相談はメール(sokadamedasi@gmail.com)、でお気軽に。※正宗への勧誘目的ではありません。(できれば当ブログのコメント欄に「メール送った」とコメントしてください。)

 

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