現在日本には、仏教系・神道系・キリスト教系その他モロモロ伝統宗教を利用した新興宗教がはこびっている。仏教系を見てみてと圧倒的に法華系異流儀が多いが恐らくその一因を担ったのが霊友会だろう。霊友会から派生した新興宗教は最大規模の立正佼成会を筆頭に約30団体もある。これほどの分派を発生させた教団は霊友会くらいだろう。セクト製造機のような教団だ。それは霊友会の歴史と組織体質に寄与している部分が大きいがそれは置いておき今回は霊友会教義について指摘したい。霊友会の基本教義は「霊界と人間界は表裏一体で霊界が現世の不幸を作る原因なので先祖(霊界)を法華経で供養して悪因縁を断ち切る」というもので実は統一教会も立正佼成会経由でこの霊友会協議を踏襲している。具体的な信仰方法は先祖の総戒名と父母双方の先祖を可能な限り遡りその戒名を書いた過去帳を仏壇に祀って朝晩に読経唱題をするというものだ。(釈尊の絵象や曼荼羅を祀る場合もある)「南無妙法蓮華経」の題目を唱えていても大聖人の仏法とは無関係なのはいうまでもなく仏教ですらないイカサマ教義である。まず仏教では霊という実態を認めていない。仏教で存在を否定している先祖の霊を本尊にすることは非仏教である。仮に先祖の霊が存在するとしても法華経には「先祖の霊を供養する」ということは全く書かれていない。先祖の霊を法華経で供養する根拠(文証)がどこにもないのだ。また先祖の霊はどれくらいいるのか計算してみると、30代前まで遡ると20億人を超え40代前までだと2兆人を超える。現在の地球の人口は約80億人。つまり地球の全人類の先祖はちょっと遡ればみんな同じだ。因みに先祖の数のn代前までの計算式は、【(2のn乗-1)×2】である。そんな無量の人類全員の先祖をひとくくりにして総戒名つけるのも変だし総戒名つけるなら各個人の父母らの戒名は不要だろう。また戒名を霊友会つけるのも何の道理もない。「戒名」というのは戒を受けて仏弟子になったという証でもあるが、仏教団体でもなんでもなく戒律なんて何もない新興宗教の霊友会にどんな権限・権能があって戒名を付けるというのだ。ほとんどの自分の先祖は霊友会に入信・入会していないのに霊友会に戒名を付けてもらう意味が分からない。そのくせ東伊豆に「弥勒山」という施設を作ったかと思えば、港区麻布台には「釈迦殿」を作ってみたり弥勒なのか釈迦なのか先祖の霊なのか何が信仰の対象なのか全くわからない。「いんなあとりっぷ(人間の心に帰ろう)」という耳障りのいい言葉をキャッチフレーズにしているが、仏教の基本すら知らず何の修行もせず戒律も持たない在家教団が日本人の故人を偲ぶ心情と仏教を利用し世間や信徒を騙しているのが霊友会である。「いんなあとりっぷ」というよりも、「イカサマトリック霊友会」である。
▼一日「イチ押し」お願いします