日蓮正宗から創価学会が破門になって30年以上が経過した。当時の破門劇をリアルタイムで体感したのは現在50歳以上の創価学会員だろう。それ以下の年齢の学会員はまだ子供で当時の事をよく理解できなかっただろうし破門後に入会した会員には無関係だ。かくいう私もリアルタイムで体験しているが何が起きたか当初は全く分からなかった。その後、創価の主張だけを聞いて宗門が一方的に池田創価を破門したと思っていた。当時は今のようにネットも発達していなかったし、宗門側は創価学会員に対してほとんど情報を発信していなかったので、その結果学会員は機関誌や会合等での創価学会から提供される情報以外の事実を知る手立てはないに等しい状態だった。しかし現在はネットも発達し当時は学会員に知らされていなかった(創価が隠蔽した)事実も知ることができるようになっている。そこで創価破門の経緯をいまだからこそ検証してみる。創価破門前後に何が起きていたのか?そこから池田創価の欺瞞と真実がみえてくる。さて池田創価破門の経緯を知る前に52年路線の経緯と内容を簡単に説明する。何故なら池田創価破門の淵底にあるのは宗門乗っ取り又は宗門からの独立という池田創価の欲望であり池田創価破門は52年路線の続きに過ぎからからだ。それは昭和49年に作成された【山崎・八尋文書】【北条文書】に明らかである。(これらの内部機密文書の存在は創価は認めている)【山崎・八尋文書】には「本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、背後をかためるという方法です。」と書かれ、さらにその具体的な方法として「一、本山事務機構、法人事務、経理事務の実質的支配。二、財政面の支配、学会依存度を高める。三、渉外面の支配。四、信者に対する統率権の支配、宗制宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等。五、墓地、典礼の執行権の委譲。六、総代による末寺支配。」と宗門にとって恐ろしいことが書かれていて、実際に池田創価はこの方針に沿って行動してきた。また【北条文書】には「長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。(中略)やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います。」と記されいて、池田創価が宗門を乗っ取り最終的には宗門を排除して独立するという計画が明確に示されている。そして昭和49年の「向こう三年間」の計画通りに昭和52年1月15日の第9回教学部大会で池田が「仏教史観」を騙り作戦を開始した池田創価だったが、この時は予想外に学会退会者が続出して計画は頓挫した。思うに当時はまだ会内に戸田二代会長の指導を受け日蓮正宗の教義を正しく理解していた会員が多かった故に池田創価の教義逸脱を謗法であると見破ることができたのだろう。そこで池田創価は退却を余儀なくされ池田は会長を辞任した。しかし「宗門乗っ取り・独立」の池田の野望は潰えることはなく、その結果池田創価は自分たちが被害者になりすますことができる「宗門から破門」という最高のカタチで独立を果たしたのである。池田創価は「宗門乗っ取り」を断念して独立の方向に舵を切り姑息にも宗門から破門されるように仕向けたのである。それは当時の様々な史料から読み取ることができるし、何よりも破門後から現在に至るまでの池田創価の教学・指導は52年路線の当時の逸脱指導(教義)そのもであるという事実が物語っている。
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